2022年10月31日月曜日

両親が介護に[34]その2 デイサービスでも暴れる 2022年6月30日

私は、
「何ごと?」
って思いました。
すると母がデイサービスで暴れたらしく、早々に自宅に送ってもらったそうです。デイサービスからケアマネさんに連絡が行ってケアマネさんが家に来ていた。
ということらしいです。

母の帰ってきた理由が、もらったお香典のことが心配で帰ってきたとのこと。(私が親戚に父の事を連絡して、お香典等は固く遠慮します。いりませんので。と話しをしたのですが、何件かの親戚の方が、今までいろいろとお世話になっているから・・・そして、お返しは一切いらないので・・・とお香典を頂いていました。)

でも母は少し入って(ダーク母)いるようだけど、そこまでではないのかなぁと思いました。
元々はゆうちょの通帳を失くしたことからたんを発していて、毎日通帳がないことを言っていて、しかも、父のために頂いたお香典のお返しが面倒だとか、父が亡くなった話しをなんで親戚にしたのか?とか母にとって面倒な話しが変なストレスとなっているのかもしれません。

母「面倒くさいのになんで父の話しを親戚ににしたのか?黙っていればよかった。」
と何度も言います。
ですが、それは全部終わっていて、母は何もすることはないのです。
それを言うと、
母「お礼の電話がしたい。なんで言わなくてもいいっていってるのに言ったのか?」
とずーっと同じことを言います。
私「お母さんのいる前で電話していたでしょう。それをお母さんは見ていました。」
母「じゃあみんなあんたたちがやってくれたんだね。」
と少し安心したようでしたが・・・
また、
母「なんで私の知らないところで全部やったの?」
というので、
私「知らないところじゃないよ。お母さんは私が電話で話しているのも見ていたし、こうするけどいいよね?って私は話しました。」
すると、
母「じゃあ私は忘れちゃったんだよね。なんでこうなちゃったんだろうね。」
と。
これはいつものループに入ったなぁと思いました。

ですが・・・
母「このもやもやをどうにかしたいから病院に連れて行ってほしい。そう思っていたのにデイサービスに行ったけど、違うと思った。だから帰ってきた。この前行った病院に行って精神安定剤をもらいたい。そう思っている。」
といいました。

まぁ暫くするとコロット変わるので、お昼を食べて暫く様子を見ていました。
するとだんだん機嫌が良くなってきたので、母の通帳を再発行するべく郵便局に行こうとハンコの場所を聞いたのですが・・・
いくつか出てきたものを持って郵便局へ行きました。

最初に私が、
「昨日は・・・申し訳ありませんでした。」
と謝りました。

そして、私が書類を書いて、ハンコをいくつか押したのですが、全部違ってました。
仕方ないので、ハンコの変更もして、カードも使えるようにして、お金を少しおろして帰りました。

自宅に帰り、ハンコの場所を聞くと・・・母はいつもの母に戻っていて、
「ハンコはここかな・・・」
と言ってまた違うハンコを出してきました。
私は「あーそんな所に隠してあったんだ。」と思いました。

ということは郵便局に行く前はダーク母で大事なものの場所が分からないということがわかり、そして隠してある場所もわかりました。

次回からはそこを探すように指示します。
私が探してしまうと母の機嫌を損ねる可能性があります。

なんだか二重人格のようだなぁと思いました。
・・・ということで私は母のカードとハンコを預かることにして、メモに書いて置きました。

その後、兄が家系図のようなものを出してきたので、それを見て・・・いろいろ話していると母もご機嫌なので、それを見て私は帰ってきました。




※ここに書かれている内容はあくまで私の家族とそこに関わっている人たちの話です。
それぞれのケースやいろいろな考えがあると思います。それを否定するものではありません。
このブログを読んで少しでも参考になれば・・・と思って書いています。
介護はとても大変です。早めに市役所などに相談をおすすめします(特に今の高齢者は人に相談しようとはなかなか思わない世代だと私は思っています。)

2022年10月30日日曜日

両親が介護に[34]その1 郵便局で暴れた!! 2022年6月30日

母がデイサービスに行った事を確認するための電話を実家にしたら、兄が出て昨日母が郵便局に行って暴れたとのこと。
郵便局の窓口の人に物を投げたり暴言を言ったりしたそうです。

そして、兄が母を迎えに行った事を話されました。
私は、
「ついにやっちゃったか・・・」
と思いました。
先週からずっーと
「郵便局の通帳が無い。」
と探していたのです。ついには、
「郵便局に預けた・・・」
という妄想になってしまっていて、一人で郵便局に行くのではないかと気にはしていたのです。

でも、今日はデイサービスに行ったとのことなので、兄と市役所に行きました。
父の手続きをするために。

実家のある町の市役所は、私の住む町とは役所の建物の大きさが2倍、働いている人はもっといるように見えました。(因みに私の住んでいる町と実家のある町では人口は1.6倍多いそうです。)

まず、総合案内所があるにはあるのですが、人がいませんでした。そして、何を記入すればいいのかわからなくて、市民課の受付番号を取りました。(私の住む場所はいろいろな申請書類を書く場所に案内をしてくれる人がいて、何を書けばいいのかアドバイスしてくれます。)

呼ばれて、父が亡くなった事を話して・・・
書類を提出。
早急にやらなくてはならない手続きを終わらせて帰りました。3箇所の手続きをして2時間かかりました。

そして家に帰るとケアマネさんのバイクが・・・
家に入ると母がいてケアマネさんもいて・・・


その2に続く・・・


※ここに書かれている内容はあくまで私の家族とそこに関わっている人たちの話です。
それぞれのケースやいろいろな考えがあると思います。それを否定するものではありません。
このブログを読んで少しでも参考になれば・・・と思って書いています。
介護はとても大変です。早めに市役所などに相談をおすすめします(特に今の高齢者は人に相談しようとはなかなか思わない世代だと私は思っています。)

2022年10月29日土曜日

両親が介護に[33]家族葬2022年6月28日

この日の母は穏やかでした。
すでに自分の着る喪服等が用意されていて、母も心構えができている様子でした。
午後着替えて葬儀場に行きました。

家族葬なので、お通夜やお葬式などはなく、私達だけでお別れしました。
父の好きなパンや父の着ていた服なんかを棺桶に入れました。そして火葬場に・・・お坊さんにお経を読んでもらって・・・
30分ぐらいでした。

因みに私達の係の方は一人で、火葬場まで付き添ってはくれました。
まぁ安い料金でしかも家族葬なので、そういうことなのかなぁとは思いましたけど。

その後、遺骨を自宅へ・・・
私達が買った仏具がそれらしくなってました。
最後に線香をあげて帰りました。

母はまったく問題がなくて、今日は良かったです。

ここまであっという間でした。
父が亡くなったという実感もなく、母のことが気になって大変でした。





※ここに書かれている内容はあくまで私の家族とそこに関わっている人たちの話です。
それぞれのケースやいろいろな考えがあると思います。それを否定するものではありません。
このブログを読んで少しでも参考になれば・・・と思って書いています。
介護はとても大変です。早めに市役所などに相談をおすすめします(特に今の高齢者は人に相談しようとはなかなか思わない世代だと私は思っています。)

2022年10月28日金曜日

両親が介護に[32]今後の話 2022年6月27日

今日はケアマネさんに電話しました。
母が通帳をなくして、昨日はパニックになってどう対処していいのかわからなかったので、その話しと今後の話しをしました。

まず、両親がある互助会(今回父の葬儀に利用していますが、互助会に積立ていたお金は使えませんでした。(なんかおかしい話ですが・・・)この話はまた書きます)の会員になっていたので、解約をすべく電話をしました。
30分かけ続けて、繋がりました。
解約したい旨を話したのですが、私は苗字が違っているので、まず両親の名義を私名義に変えて解約手続きをするそうです。この話はまた詳しく書きたいと思います。
私は親の証書を持っているのにすぐには解約に応じて貰えないようです。
それはネットにも悪評が書かれていますが・・・
この経緯に至った話もいずれ書きたいと思います。

「葬儀」
人の不幸に漬け込んでいろいろと話を持ちかけてくる担当者。
この担当者が曲者の可能性があります。
それもまた書きます。


そして、ケアマネさんとの話ですが・・・
まず、母の今後の話をしました。
兄と母はあまりいい関係ではないので、一緒には長くは暮らせないということ。
そして、父が亡くなったので年金を遺族年金にするのか母の年金にするのかの話をしなくてはならないそうです。
そして、いろいろな父の名義になっているものの変更等。
一番が兄です。
父が亡くなって母の扶養にはもう入れない(母はほぼ年金をもらっていない。今現在。)ということを伝えて、健康保険等のことやいろいろと考えなければならない事を兄に伝えなければならないとのこと。兄の事に関しては私はもう関わらないでいいと言われました。
ケアマネさんは
「もういい大人なので。」
とのこと。

母は今はまだ緊急措置の事業対象者なので、今後は介護認定の申請をして、その後介護施設に・・・という話をしました。ただ、介護認定は2ヶ月ぐらいかかるとのこと。確かに父が認定を受けたのは最近で遅すぎました。
母はまだそこまで動けないということはないので、大丈夫だと思いますが・・・
ただ、介護の認定を受けると今のケアマネさん(包括支援センター)ではなくなって、別の担当(介護の担当)がつくそうです。
今のケアマネさんは凄くいい人で、電話して相談するとすぐ来てくれて対処してくれるのですが、それでうまく母に合っていて、母は上手く誘導されるのが凄いと思っています。
なので、代わってしまうのがなんだか寂しい。そして新しい人が合わない人だったら・・・と思ってしまいます。
いろいろと話して・・・一時間ぐらい話しました。

その後実家に行きました。
母は穏やかで、全然昨日とはちがいました。
やはり母にお金の話はしないほうがいいと分かりました。
午後になって父に会いに葬儀社に行ったら、すでに棺桶の中に入っていました。そして遺影も出来上がっていて、かなりいい出来になっていました。




※ここに書かれている内容はあくまで私の家族とそこに関わっている人たちの話です。
それぞれのケースやいろいろな考えがあると思います。それを否定するものではありません。
このブログを読んで少しでも参考になれば・・・と思って書いています。
介護はとても大変です。早めに市役所などに相談をおすすめします(特に今の高齢者は人に相談しようとはなかなか思わない世代だと私は思っています。)

2022年10月27日木曜日

旦那様 車運転で捕まる 2022年9月26日

旦那様の傷病手当の書類を病院に書いてもらうために提出してきました。
今まで旦那様の精神状態を考えて私は何も言ってはいませんでしたが・・・旦那様の会社の方から連絡があったようで・・・
なんとか病院に証明してもらうように提出してきました。

その後ちょっとドライブに行きました。
その時にまた・・・

「一時停止違反」

で、警察に捕まりました。
なんとなく嫌な予感はしていました。
目的の場所に行く道すがら、スピード違反の取締をしているのを見ていたので、今日は・・・という話を旦那様としていました。

捕まったのはしかたないのですが・・・またまた旦那様は納得いかないようで(相手の警官の態度や行動や言動)・・・警察官と話すこと30分以上・・・
そして、やっと帰路についたのですが・・・旦那様は少し落ち込んでいる様子だったので、私はこれは、
「すぐに忘れて。私達の後にも捕まった人がいるので、あそこは警官の点数稼ぎの場所なんだと思う。そういうことを警察はやるので、忘れましょう。」
と話しました。

旦那様は帰る頃にはだいぶ気分は上がっていたようですが、その後警察から電話が・・・警察官は旦那様の話に納得いかなかったようです。
旦那様は社会人としてのマナーや態度、仕事の常識をとくとくと話していて、それに納得いかなかったようです。相手の警官はまだ20代のようでしたから・・・今回もまた30分以上話していました。

相手はうるさい親父と思っていたようです。
ただ、今の警察は社会人としての常識やマナーなど出来ていなくかなりひどいと思います。以前に私も母の事で電話がかかってきた時もそうでした(この話はまた後日書きます)。
私はうるさいオバさんだと思われたようです。




※ここに書かれている日常はあくまで私達の出来事です。
 旦那様は「うつ」の診断を受けて会社を休職していますが、家に閉じこもってばかりいても逆にストレスをためてしまうと私達は考えています。
「うつ」は治るそうですが、ぶり返す可能性が大きいそうです。
いろいろな考えがあるとは思いますが、それを否定するものではありません。 
おかしいなぁと思ったらすぐに病院に行くことをおすすめします。

両親が介護に[31]親戚へ連絡 2022年6月24〜27日

父が亡くなって、親戚に連絡しなければ・・・と思いました。


だけど、皆もう高齢者なので、連絡だけで、お通夜や葬儀はやらないので、お香典等は一切お断りということを、私が父の親戚(従兄弟)と母の親戚(姉妹)に連絡しました。

それも、私は最近はまったく会っていない人達なので、電話するのも一苦労でした。

その電話を実家で母のいるところで電話したのですが・・・


母「なんで親戚に勝手に電話してるんだ!!」

とご立腹でした。

ですが、

私「親戚にお父さんが亡くなったことは話さないわけにはいかないでしょう。」

と言うと、

母「そんなこと後で話せばいい!」

と凄い剣幕でした。

そして、

母「親戚に連絡したからお香典送ってくる。お返しが面倒だからお香典なんていらない。」

というので、

私「お母さん今の電話の話聞いてなかったの?お香典等は遠慮します。一切いらないので・・・と話していたでしょ。もう皆さん高齢で、お互い様なので。と話したから大丈夫。」


と話したのですが、母は納得していませんでした。


その話は今後何度となく続くのですが・・・






※ここに書かれている内容はあくまで私の家族とそこに関わっている人たちの話です。
それぞれのケースやいろいろな考えがあると思います。それを否定するものではありません。
このブログを読んで少しでも参考になれば・・・と思って書いています。
介護はとても大変です。早めに市役所などに相談をおすすめします(特に今の高齢者は人に相談しようとはなかなか思わない世代だと私は思っています。)

2022年10月26日水曜日

両親が介護に[30]母混乱 2022年6月26日

買った仏具等を設置するために実家へ・・・

すると、また母がブラックモードに突入していて、また母が暴れて、手がつけらけなかった。

母は、
「もう生きている意味がない。電車に飛び込んで死にたい。」
と言って暴れて・・・

窓が開いていたので、母は、
「近所迷惑だから騒がないで!!」
と言っていたのですが、母が一番騒いでいて、近所に響き渡っていました。
母は足がもつれて自分で転んでいて・・・

この時の母は父がいなくなって、どうしていいのかわからなくなっていたのだと思います。

なので、私達夫婦は早々に実家を出て葬儀社に安置されている父に会いに行きました。
母と兄は今日は父には会いにいけなかったです。
仕方ないです。

私達夫婦は父に会って線香をあげて帰りました。




※ここに書かれている内容はあくまで私の家族とそこに関わっている人たちの話です。
それぞれのケースやいろいろな考えがあると思います。それを否定するものではありません。
このブログを読んで少しでも参考になれば・・・と思って書いています。
介護はとても大変です。早めに市役所などに相談をおすすめします(特に今の高齢者は人に相談しようとはなかなか思わない世代だと私は思っています。)

両親が介護に[29]今までは序章だった。

2022年6月23日に父が亡くなりました。

父の闘病生活は約3ヶ月でした。


母は・・・これをきっかけにさらに酷いことになりました。


今までの母はただのオープニングでしかなかった。

この後毎日毎日メチャクチャです。


そして、私達夫婦も大変になっています。






※ここに書かれている内容はあくまで私の家族とそこに関わっている人たちの話です。
それぞれのケースやいろいろな考えがあると思います。それを否定するものではありません。
このブログを読んで少しでも参考になれば・・・と思って書いています。
介護はとても大変です。早めに市役所などに相談をおすすめします(特に今の高齢者は人に相談しようとはなかなか思わない世代だと私は思っています。)

2022年10月25日火曜日

今回の新型コロナ医療保険の話(2022年8月下旬の話です。)

この話は2022年8月下旬の話です。


今回の新型コロナ感染・・・

私も旦那様も医療保険に入っていて、ネットから申請できたのですが・・・
某共済保険はネット申請はまだできないので、電話なのですが・・・
8月15日からずっーと電話をかけているのですが、全くかかりません。

それを私の入っている大手の保険会社の担当さんに言ったら、やはりかなりの人が申請をしていて、かなり混んでいるらしく、給付金がおりるのはかなり後になりそうだ。と言われました。
毎日10万人(8月上旬)が陽性なんだから、それなりにコロナにかかっている人はいるのだろうとは思います。

まだ5類にはなっていないから、医療保険に入っていた人は給付金がもらえるのですが・・・保険会社の担当さんは言ってました。
「給付金申請している人はかなりいて、会社大丈夫なのか心配・・・」
だそうです。
まぁそうだろうなぁと思います。

これが5類になったら医療保険は出ないので、ここはどうなるのかなぁ。

某テレビで給付金狙いで、
「わざと新型コロナにかかる人がいる・・・」
と放送されたようですが・・・私はその番組は見ていません。
でもそれは一部の人だと思います。

かなりリスクがあるので。
というのも、うちは旦那さまがコロナ後遺症だと思いますが、
「抑うつ」
になってしまい、会社に行けず、仕事をしていません。
今月は給料は・・・
傷病手当を申請するつもりですが・・・コロナの方は上手くいくのかはわかりません。ただ、「抑うつ」の診断をしてもらえたので、その後は傷病手当はもらえるとは思うのですが・・・

この新型コロナは今までの病気と違い後遺症もあるので、安易に考えないほうがいいのかなぁと思います。

旦那様の入っている保険会社の担当の方から(2022年8月22日)に電話がありました。
旦那様が申請したのが担当さんに連絡が入ったそうで、内容は分からないのですが、担当さんは連絡をくれました。
なので、
「コロナにかかった。」
と話して・・・その後の旦那様の「うつ」の話しもしたのですが・・・

「うつ」は給付金対象ではないのです。
仕方ないなぁと思ってはいるのですが・・・

旦那様の入っている保険会社から、今日(2022年8月23日)
給付金振込のお知らせが・・・
早いです。有り難いです。
金額は考えていたよりも貰えました。

ですが・・・
私の入っている保険会社からは、担当者からは連絡は来ましたが、
「振込」
の連絡はまだないです。
2022年8月24日に連絡がきました。
振込まれました。

因みに私の保険は「癌」の診断で一時金を貰っていて、しかも「癌」の診断が確定すると払込免除という凄い保険なのです。
私の入院、手術等の補償は80歳まで続きます。
なので、何かあってまた入院や手術をしても補償は続くので安心です。
しかも、もう払込はないので、払っていません。今まで30年は払って掛けていたので、元はとれるかなぁと。思っています。
担当さんのおすすめで入っていたのですが・・・保険に入っていて良かったと思います。

因みに旦那様もほぼ私と似たような保険に入っているのですが、入院の一日の給付金額が違っています。


そして、共済保険は毎日電話をかけているのですが、つながりません。
共済保険は入っている人が大手の数倍はいるようなので、かからないのはわかるのですが・・・なんでネットから申請できるようにしていなかったのか?
疑問に思います。
かなり黒字だと言う話を数年前に聞いていたのです。
だから、いろいろ加入している人は優遇(家の新築するのに安いとか、いろいろとあります。)されているのは当然だったのですが・・・今回コロナでろいろとヤバいのではないのかなぁと(電話がかからないし、その他の申請方法が無い)。

まぁこちらはかけている金額も少ないけど、給付金も少ないので、気長にがんばります。


※・・・・この話は8月下旬の話です。


現在・・・10月ですが、9月26日以降に新型コロナにかかった人で、自宅療養では大部分の医療保険はおりないようになっているようです。一部を除いて・・・(確認して下さい。)


そして、電話は以前よりはかかるようになっているようです。





※ここに書かれている新型コロナの話しはあくまで私達の住んでいる地域の今の状況です。
 今現在、進行形でいろいろと制度などが変わっています。

2022年10月24日月曜日

私の誕生日 22022年9月23日

2022年9月23日


私の誕生日でした。

旦那様が「うつ」なのと、実家が目の離せない状況なので、そんなに前から予約できるお店だと何かあった時に残念な気持ちになってしまうので、前回旦那様&結婚記念の時に利用したお店に4日前に予約をしました。

幸い母は何事もなく電話も無く大丈夫でした。


今回も

「一期一会」

さんです。





まずは前菜です。

お皿が切り株で、ちょっと驚きました。



スープです。



パスタ



魚料理
やはりお皿が斬新です。


お肉料理
期待どおりのお肉でした。



デザート
お皿にメッセージを書いてくれました。








とても美味しかったです。
今回も金額を言ってコース仕立てにしてもらいました。
毎回違う料理を出してくれるので、行くのが楽しみです。

本来、コース料理はメニューにはありません。
予約の時にお願いして作ってもらっています。




※ここに書かれている検査や投薬、費用その他諸々はあくまで私の場合です。それぞれの考え方や、治療の進め方などいろいろあると思います。それを否定するものではありません。 
このブログを読んで少しでも参考になれば・・と思っています。 
検診は毎年受けましょう。おかしいなぁと思ったらすぐに病院に行くことをおすすめします。

2022年10月22日土曜日

両親が介護に[28]葬儀社との話し 2022年6月24日

父が亡くなって半日が経ちました。
午前10時に葬儀社との打ち合わせでしたが・・・
例のごとく母がゴネて行かない・・・と言ってイスから動かなくなっていました。薬は飲んでいませんでした。
そして、切れていてやはりブラック母が出ていて、手がつけられませんでした。
このままだと父の葬儀の話を母ナシですることになってしまい、後々後悔するし、母の旦那様のことなので、最後までしっかりとやってほしいと言う思いもあったので、ケアマネさんに相談しました。
すると朝ということもあったので、すぐに来てくれて母に対してうまく説得。あれはさすがだと思いました。母は薬を飲んで父の葬儀の打ち合わせに行くと言ってくれました。
そして・・・母は薬を飲んで、父のいる葬儀社(ある有名な葬儀社で、悪い話がちらほらある)へ・・・
葬儀の話は凄いものでした。
市民葬(市から補助が出ます)なのに、結局は倍以上の金額になって・・・この話はまた後日書きます。


父は高齢だったので、ほぼ関係者は高齢です。
なので、葬儀は家族葬にすることにしました。




※ここに書かれている内容はあくまで私の家族とそこに関わっている人たちの話です。
それぞれのケースやいろいろな考えがあると思います。それを否定するものではありません。
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2022年10月21日金曜日

両親が介護に[27] 父が永眠。2022年6月23日

この日は、朝兄から電話が・・・
「母がデイに行かないって言ってる。そして、父がご飯を食べていなくて、看護師さんを呼ぶから。というといらないって言っていて・・・」
という電話でした。

私はこの日整形外科のリハビリの日だったので、それが終わったらまた電話するから・・・と一度電話を切りました。
母は木曜日はデイサービスに行く日でしたが、この日は行かなかったようです。
母は最近はデイサービスに通っていて楽しくしていたので、今回行かなかったのが、また以前のようなことになるのか少し心配でした。

整形外科が終わってまた電話すると、やはり父はご飯を食べていなくて、少し心配な感じだったので、私も実家に行くことにしました。

実家に着いたのは、お昼の12時ぐらいだったと思います。

父は水も飲まず、寝ていました。
兄が一生懸命に何か飲ませようとしていたのですが・・・

私が父に来たことを告げて、様子を兄に聞いて、数日前から食べなくて・・・心配している事を聞きました。

私が父に話しかけると反応はあって、看護師さんを・・・という話をしていたのですが・・・
母は
「父が数日前から苦しそうで、こんなんじゃ心配でデイサービスもいけない。今日はだから行かなかった。」
と。

母も少し心配そうで、父のベットの側で足をさすったりしていました。
気温も上がってきていて、熱中症の症状が出ていて、熱が微熱だけどあったので、扇風機とうちわで父の体を冷やそうとしていました。

そして、なんとか水分をとって欲しくてあれやこれやで飲ませようとしていました。
すると父は栄養ドリンクを飲みたいと意思表示してくれたので、兄が一口飲ませるともっと飲みたがったのでまた一口・・・飲ませました。

私と母は水分を少しでもとってくれたので少し安心していたのですが・・・
兄が少しベットのそばから離れて私と母で見ていたのですが・・・少し大人しくなって、寝てしまったように見えたのですが・・・
兄が戻って来た時に
「唇の色が紫になってきた。息してないのかも。」
というので、私は、兄に、
「救急車を呼んで119に電話して!!」
と叫んでいました。

そして、私と母で
「お父さん息して!!お父さん目を開けて!!」
「お父さん!」
と何度も叫んでいました。

そして、消防に電話が繋がり、兄が詳しく状況を伝えて・・・
私達は父の心臓マッサージをしました。

電話の向こうの隊員の人が、
「このまま電話を切らないで心臓マッサージをしてください。消防が先に到着しますからそれまで心臓マッサージを止めないで下さい。」
と電話の向こうで指示を出してくれました。
私達は必死でした。
途中で父が反応していたようにも見えたので、もしかしたら・・・と思って必死でした。

暫くして消防車が到着して、AEDを父に装着して何度か蘇生措置をやってくれました。その後救急車が来たのですが、救急車はかなり遅かった気がします。
その時に父の延命治療の話しをされたのですが・・・

「父は過度な延命は望んではいなかったようです。」
でも、
「蘇生措置はお願いします。」
と話しました。

そのまま父を救急車に乗せて病院へ・・・
兄が一緒に行きました。

私と母はそれを見送って・・・

暫く呆然としていました。

そして、私と母はどこか落ち着いていました。
そして、お昼のパンを食べて・・・私は涙が止まりませんでした。
とりあえず旦那様に連絡をしました。

そして、しばらくすると兄から電話が・・・
父が亡くなった・・・と。
私達もすぐに病院に行きました。
そして、兄と合流して・・・兄はかなり動揺していました。

その後先生に父の話を聞いて・・・

死因は・・・
「間質性肺炎」でした。

最後に私達が飲ませたものが詰まったとかそういうことではなかったようでした。もう心臓がもたなかったようです。

その後父と対面しました。
父は安らかな顔をしていました。
そうとう苦しかったと思いますが、よく頑張ったと思います。
父はもう生きる事を止めた・・・のだと思いました。
父は今年に入ってから、自分のことで一杯一杯だった。それは3月のピアノを買い取りしてもらったときに話していました。

そして、今後の話を病院の担当の方と話して・・・葬儀の話しをしました。
私達はかなり動揺していて、どうしていいのかわからなくて、病院に相談できる方がいて、その方の言うとおりにして・・・
その日のうちに父を葬儀社に預けないとならなくて(いつまでも亡くなった人を置いておけないそうです。)、その場でいろいろと決めて父を葬儀社に搬送してもらいました。
私達はタクシーで葬儀社に行きました。

そして、葬儀社に運ばれた父はとても冷たかったです。
葬儀の詳しいことは24日にすることにして帰りました。

つい数時間前まで話せていたのにもういなくなってしまった・・・
なんだか不思議な感じでした。

でも、最後は自宅でしかも家族皆いたので良かったと思いました。

私は、4月に入院して、帰ってきてからの父の様子を見て多分この夏は越せない可能性があるって覚悟していました。

父が急変してからあっという間の出来事で、母、兄と私はかなり呆然としていろいろと流された一日でした。

そして、実家に戻って・・・
一番に連絡したのが、父の従兄弟(父と一緒に育っています。)の一人。
まぁ突然電話がかかってきたので何事?って思うのは当然です。
父の事を話してまだ詳細は決まっていないと話して電話を切りました。

その後私は自分の家に帰りました。





※ここに書かれている内容はあくまで私の家族とそこに関わっている人たちの話です。
それぞれのケースやいろいろな考えがあると思います。それを否定するものではありません。
このブログを読んで少しでも参考になれば・・・と思って書いています。
介護はとても大変です。早めに市役所などに相談をおすすめします(特に今の高齢者は人に相談しようとはなかなか思わない世代だと私は思っています。)

2022年10月20日木曜日

歯の検診 2022年9月22日

今日は私の歯の検診&クリーニングの日でした。
クリーニングは問題なく終わりました。
昨日の差し歯の事も問題なかったとい言う話をしたのですが、問題は・・・

元々左上の奥歯が痛い&しみるので、それを話しました。
するとレントゲンを撮ってみてもらいました。
すると先生は、
「神経がまだ残っているので、少し痛むのでしょう。もし治療するならばしますが・・・どうしますか?」
と聞いてくれました。
痛くなってもうだいぶ経っていて、本来は昨年の手術の前から痛かったのですが、痛み止めを多用していたので、あまり気にならなかったのです。

なので、今回は治療をお願いしました。
神経を取ってしまうと、あまり良くないらしいので、少しためらいましたけど。



※ここに書かれている検査や投薬、費用その他諸々はあくまで私の場合です。それぞれの考え方や、治療の進め方などいろいろあると思います。それを否定するものではありません。 
このブログを読んで少しでも参考になれば・・と思っています。 
検診は毎年受けましょう。おかしいなぁと思ったらすぐに病院に行くことをおすすめします。

2022年10月18日火曜日

差し歯を元に 2022年9月21日

差し歯が取れてしまったので、20日の朝クリニックに電話して・・・21日の午前11時の予約になりました。
もっと早く対処してもらえると思っていたのですが・・・駄目でした。
前歯がないとかなり困ります。

そして、11時に行くとすぐに呼ばれて・・・
先生に、
「少し土台がかけたようですが・・・」
というと、先生は、
「見てみましょう。」
と言って見てくれて取れた歯をまたはめて・・・
「大丈夫のようですよ。」
と言ってまたその歯をくっつけて・・・終わりました。
時間にして、10分かかりませんでした。
これなら20日の夕方行っても大丈夫だったのでは???
と思いました。
元々先生は少し暇そうにしていたのです。
来ている患者さんは皆クリーニング&検診で・・・先生は何もすることがなかったようです。

まぁでもすぐ終わったのは良かったけど、これで良かったのかは疑問です。
元々私はこの歯医者さんの理事長(息子が院長です。基本2人体制なのですが、たまに研修医らしき若い人がいます。因みに理事長は大学病院の特別講師です。)のことはあまり良く思っていません。なんとなく私の診察をないがしろにしている気がして。





※ここに書かれている検査や投薬、費用その他諸々はあくまで私の場合です。それぞれの考え方や、治療の進め方などいろいろあると思います。それを否定するものではありません。 
このブログを読んで少しでも参考になれば・・と思っています。 
検診は毎年受けましょう。おかしいなぁと思ったらすぐに病院に行くことをおすすめします。

2022年10月17日月曜日

両親が介護に[26]父が食べない  2022年6月21日 

実家へ行きました。

すると父の銀行の担当営業さんが来ていました。
父は区画整理の後の住所変更をしていなくて、今回わざわざ営業さんが来て手続きをしてくれました。

その間母は隣の部屋で泣いていて・・・
最近午前中はこんな感じみたいです。
父の事を悲観しているようです。

昨日は父が過呼吸になってしまったそうで、看護師さんを急遽お願いしたそうですが、母は看護師さんに何か変な事(父が無理やり生かされている。酸素を吸うぐらいなのに病院に入院できないのは・・・とか、あるいは父を実験台にしているとか)を言ったらしく、
看護師さんが、
「母を隣で寝かせるのではなく別の部屋で寝かせることはできないか?」
と言われたそうです。
でも現実的には無理なので兄は、
「無理です。」
とはっきり言ったそうです。

確かに、母は父のあの息遣いをずっーと聞いていると苦しそうで辛そうだと思っている・・・でもそれは違っていて、母が(自分が)苦しいんだと思います。もう3ヶ月ぐらい経つのに母の頭の中では最近こうなったというのがあって、父の病気を受け入れられないんだと思います。
今まで父が病気(以前心臓のバイパス手術等で入院したことはあるのですが)で寝たきりになることが全くなかったので、母は父が家で寝たきりになっていることが信じられないみたいです。

でも、部屋はもう2階にしかなく母を2階に・・・というのは危ないので無理です。

母の認知症の症状は破壊的な部分は少し良くなっているけど、日曜日に洗濯機が使えなくなって、頭がこんがらがって一人で散歩に行って5,6時間帰ってこなかったそうです。
前みたいにものを投げる・・・ということはなかったそうです。
だけど、大声だして出ていったそうです。
何処に行ったのか聞くと、川まで歩いて行って(2キロぐらい)橋を渡ってスーパーで一休みして買い物して帰ってきたそうです。

それを楽しそうに話していたので、以前のパトカーで・・・という悪い思いは少し薄れているのかなぁと。

午後は母は少し気分が上がったようで、今までの母のいつもの話しが出てきていたので、私は帰ってきました。

やはり母は少しづつ認知症が進んでいるようです。
洗濯は母が唯一出来る家事だったのに、使えなかったことがあったというのが・・・

父が悪くなっているのと同時に母も進んでいて、今後どうなるのかわかりません。

因みに父は今はほぼ寝たきりになっていて、トイレも自分では行ってません。体は筋肉は無くなり、骨と皮だけになってます。
母は父が、
「いろいろと世話をかけるから、あえて食べていない。」
と言っていました。
その可能性は無いとは言えませんが、父はそこまで考える人ではない気がします。





※ここに書かれている内容はあくまで私の家族とそこに関わっている人たちの話です。
それぞれのケースやいろいろな考えがあると思います。それを否定するものではありません。
このブログを読んで少しでも参考になれば・・・と思って書いています。
介護はとても大変です。早めに市役所などに相談をおすすめします(特に今の高齢者は人に相談しようとはなかなか思わない世代だと私は思っています。)

2022年10月16日日曜日

旦那様の精神科&MRI 2022年9月20日

今日は旦那様の精神科&総合病院での脳のMRIの日でした。

精神科では、旦那様がこの2週間でどうだったのかの話をしました。

勤め先の上司の方からの電話とメールがかなり重くて、それが来たときから気持ちが沈んでだるくて動けなくなり、頭痛が酷くなったと話していました。
確かに先週の木曜日ぐらいからなんだか少し陰に入っているような気がしていました。
ですが、私ももう限界がきているので、旦那様にはきつい言葉をかけてしまっていて・・・それでも今まではそこまで落ちることはなかったのですが、2,3日前から私がきつい言葉を言うとすぐに落ち込んでしまうことがわかり、私はもう彼には何も言えなくなったと自覚しました。常にイエスで否定出来なくなりました。

先生は旦那様の話しを聞いて、もう少し時間がかかるという判断でした。
最後に私が診断書をもう一度書いてほしいと言う話をして終わりました。

先生は私には今回、何も聞いてくれず、診察が終わりそうだったので、診断書の話しをして、少し旦那様が気分が落ちている・・・と話しました。

今日の先生は少し微妙な気がしました。
私がせっかく付き添っているのに、先生は旦那の話ししか聞かないで終わろうとしていたので。

今回は母の先生と同じような気がしました。
周りの話しをきかない・・・
以前、奥さんは旦那さんのことを観察して診察の時に話して下さい・・・と言っていたのに。
今回は私が言わないとスルーだった。
特に診断書は会社に提出する重要な書類です。

元々病院に行く前は、私も
「もう限界です。」
と言おうか迷っていたのですが・・・

最近は旦那様との接し方がわからなくなっていて、はれものに触るように接しています。
何か少しでも旦那様の気にさわることを言うと、

すぐに怒るし、その後落ち込んでだるくて起きられなくなる。ので、極力気に障らないように接して・・・なので、家ではあまり話さないようになってしまっています。

そして・・・
午後は総合病院で旦那様の脳のMRIを撮影してその後診察でした。
結果は、
「まったく問題無し。」
でした。先生は、
「脳動脈瘤や脳梗塞などの問題は無く血管もキレイです。」
とのことでした。
頭痛はやはり精神的なことからきている可能性が高く、脳の問題ではないので、やはり対処療法しかないと言うことでした。
私はかなり気が楽になっていたのですが、旦那様はそうではなかったようです。

コロナがきっかけとはいえ、旦那様の「うつ」はまだまだかかるようです。
他の病気と違って目に見えて治る・・・ということはない病気なので、判断はとても難しい病気だと思います。





※ここに書かれている新型コロナの話しはあくまで私達の住んでいる地域の今の状況です。
 今現在、進行形でいろいろと制度などが変わっています。
最新の状況を確認してください。

差し歯が取れた!?  2022年9月19日

旦那様がコロナ後遺症等で会社を休職してからは、病院に通院か家で一日過ごす・・・という日が続いていますが、私のいろいろな体調の不備などで、ほぼ毎日、昼食は外食で夕食は惣菜を買ってきて・・・ということになっています。

ここのところ良いことも無く、悪いことばかりですが・・・
さらに追い打ちをかけるように、

私の差し歯が取れました!!

そー言えば私が手術する前ににもそんなことがありました。


で詰め物が取れたということを書いてます。

なんだか悪いことが起こると歯が反応するのかなぁ?
と思います。

さすがに今回は凹んでしまって・・・次の日の19日まで気持ちが落ち込んで旦那様にあたってしまい・・・旦那様は具合をさらに悪くしたようです。
申し訳ないです。

この差し歯がとれた事で私もかなりヤバい状況なのかもしれません。

いろいろな事が頭の中で巡っていて、このままいなくなってしまいたい気持ちになっています。

でも明日20日は旦那様の精神科と旦那様の頭のMRIの検査、その後診察があるので、そこでいい結果がでれば・・・と思ってなんとか精神状態を上げている状況です。

ただ、精神科はまだ仕事は・・・といわれると思っています。
旦那様も2時間かけて会社に行くことは出来ないと言っていて・・・
私はそれを言われても何も答える事はできません。
今までなら、
「自分で決めた会社でしょ。そして自分で決めたこと。」
と言いたいですが、今の「うつ」の旦那様にそれは言えません。
ただ聞いているだけです。
それが私にはかなりのストレスです。

私にしてみたら、半年前になんでそんなに遠い会社に転職したのか?未だに疑問ですが・・・昨年までの会社なら有休もあったのに・・・と私はずっとそればかり考えています。

そして、旦那様の給料はほぼ0になり、傷病手当もまだ申請等出来ていません。
旦那様の会社は以前の会社よりかなり小さい会社なので、そういう事は疎いようです。以前の会社なら月ごとに書類を提出して月ごとに労災の傷病手当(会社に勤務している時に転倒し、肩をかなり珍しい骨折をしました。)が振り込まれていたのですが・・・もう2ヶ月なのに、ほぼ収入は無し(任意の医療保険はもらいましたが。)。
コロナからの「うつ」なので、コロナも傷病手当を申請してその後「うつ」で傷病手当を申請・・・ということになるはずですが、まだ会社からは何も・・・

なので、年金や健康保険の支払(ひと月10万ぐらい。高いですね。)も滞っていると思われるのですが・・・
何も旦那様は言ってこないのでどうなっているのやら・・・
あまり旦那様に聞くのも・・・と思っていて聞けません。

それも私にはかなりのストレスで・・・
旦那様はわかっているのかどうなのか・・・わかりません。

旦那様は毎日、頭痛とだるさの戦いをしていて、そして少し理屈っぽく世の中のいろいろな理不尽が精神的にのしかかるようです。
気分が上がるような話しがないと落ち込みが激しく次の日は頭痛とだるさで動けないようです。

旦那様のこの精神状態は、新型コロナから発症していると思われているのですが、治るのか疑問です。




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2022年10月14日金曜日

またまた指&手首に注射です。  2022年9月16日

今日は整形外科ま診察の日でした。

この1年の不調の右手中指と左手首の具合がやはり悪くなっていて・・・

前回、左手首は痛かったのですが、経過観察になっていました。
やはり悪くなっていて、少し腫れてきていました。

そして、一番の懸念していた右手中指は、先週ぐらいから痛くなっていて・・・ただし、薬指も痛かったので、今回薬指も・・・と話しました。
すると先生は超音波で状況を・・・と言うことで、手首と指2本を超音波で診てもらいました。

やはり、手首は炎症が強く出ているとのこと。
そして問題の右手中指ですが・・・やはりこちらも炎症が起きていて・・・
そして、右手薬指ですが・・・こちらはそれほどの炎症は起きてはいなかったのですが、腫瘤(ガングリオン)が発見されてしまいました。私も超音波の画像を見ていたので、ポッカリと穴が空いているかのような感じでした。
それほど大きなものではないのですが、これがあると指が動かしにくい等の支障がでるそうですが・・・中指の手術の時に一緒に処置をしたほうが・・・と言う話になりました。

そして、結局は中指は何もせず、薬指に注射をして中指の方までカバーしてくれれば・・・ということで薬指に注射をしました。
そして、手首も注射をしました。
なので、今回は2箇所注射ということになりました。

またしても痛い思いをしました。
この状況いつになったら終わるのか・・・




※ここに書かれている検査や投薬、費用その他諸々はあくまで私の場合です。それぞれの考え方や、治療の進め方などいろいろあると思います。それを否定するものではありません。 
このブログを読んで少しでも参考になれば・・と思っています。 
検診は毎年受けましょう。おかしいなぁと思ったらすぐに病院に行くことをおすすめします。

2022年10月13日木曜日

両親が介護に[25] 整形外科→実家へ 2022年6月17日

整形外科の診察が終わって、その後実家へ・・・
母はご機嫌でした。
薬の効果はかなりあったようで、私も話しが変な方向に行かなくなっているのに驚きました。
物忘れはあまり変化はないように思いましたが・・・まだ飲み始めて一週間なので、様子見かなぁ。

そして、父の訪問看護師さんが来ました。
父の体を拭いてくれました。
また来週くるそうです。

そして、兄が父の介護認定が決定したと。
「4」
になったと言ってました。
悪い方から2番目です。
それぐらい父は手がかかるし寝たきりに近い状態だということです。

その後私は来週少し実家に来るのを減らす・・・という話しをしました。

今週は先週までのしわ寄せで私自身の病院が毎日になってしまい、かなりの疲労がたまっていて、さすがにこれが続くとヤバいので・・・と話しをしました。
そして帰りました。





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2022年10月12日水曜日

旦那様は総合病院  2022年9月13日

旦那様の内科の先生から詳しく脳の中を調べたほうが・・・
と言われていて、前回の内科の診察の時に近くの総合病院の脳神経外科に予約を取ってもらったので、行きました。

この総合病院は以前旦那様が右肩を珍しい形で骨折をして、その時に一度行っています。(その時はすぐに手術が出来ないのと人工関節になると言われたのですが、先生の配慮で別の病院の腕のスペシャリストを紹介してもらい、今現在は人工関節にはならずに少し障害は残っているものの日常生活は送ることが出来ています。)

ですが、その時と経営が変わってしまったので、どうなのかなぁと思っていたのですが、比較的新しい病院なのですが、システムは町のクリニック並かそれ以下でした。
最近は大きな病院(私の大学病院や旦那様の精神科等の病院)に行っていて、総合病院はこれらの病院の中でも一番新しいので、もっとシステムが近代的なのではないかなぁと思っていました。
・・・が、アナログでした。

因みに総合病院は300床の病院です。

受付で、紹介状を渡して、言われた場所に行くとそこはその他の科も一緒の待合(町にあるクリニックと同じです。)で、混雑していました。これじゃあいろんな病気が感染ってしまうと思いました。

そして、診察室の前は大混雑で座る場所も無かったので、少し離れた場所で待っていたのですが、呼ばれる名前も口頭(事務の人が外に出てきて呼ぶという方式で、かなりアナログでした。モニターで何番の人が診察しているのかはわかりますが・・・)でフルネームで呼ばれて全然聞こえなくて・・・大変でした。

診察ですが・・・
先生は話しを良く聞いてくれる先生でした。
旦那様がしっかり話している様子をじっーと観察するかのように診ていました。
先生の見解は、
「うつからきている症状だと思います。」
旦那様、
「今の段階で何か頭の中にあるとかの可能性はありますか?」
と聞くと、先生は、
「診た感じはしっかりと話しているので、何もないと思います。」
とのこと。

でもMRIの検査はすることになりました。
それを聞いて旦那様はすごく安心したようで、気持ちも楽になったようで、今日は頭痛もだるさもあまり感じないと言ってました。
やはり「うつ」がいろいろな症状を出しているのでしょうか。

そして一週間後にMRIを撮影してその後診察・・・ということになりました。

私はその診察の様子を診ていて、脳の病気の場合は「目」やいろいろな部分に支障が出ている可能性が高いそうで、旦那様はまったくそういうのはないので先生はよく旦那様の様子を診ていたんだなぁと思いました。





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2022年10月11日火曜日

両親が介護に[24]その2  その後、父診察に・・・  2022年6月14日

これはケアマネさんに話してどうすればいいのかを話さなくては・・・と、連絡して来てもらいました。
今までのいきさつをメモに取って、ケアマネさんは、
「金、土、日、って薬は飲んでましたか?」
と兄に聞いて
すると、
兄「飲んでました。」
ケアマネさん「その時の状態は?」
兄「静かでした。少なくとも暴れることはありませんでした。」
と。
ケアマネさん「月曜の夜からおかしくなったのね。そしてその夜は薬を飲んでいないのね。」
というので、
兄「昨日の夜は飲んでいません。」
とのこと。

ケアマネさんが言うには、母は行動を起こす部分の脳が萎縮しているので、行動が制御できなくなってしまう。あるいは狂暴になる。ので、薬はそれを抑える作用のあるものが処方されていて、飲むと少しは静かになることが期待される。とのこと。ただし、母はまだ飲みはじめなので、少量しか処方されていないので、目に見えて・・・ということにはならない可能性が大なんだけど。といいました。
だけど、しかっかり飲むことが大事だから・・・
元々飲んでいた、喘息とアレルギーと寝付きを良くする薬を全部一包化して一緒に飲むようにしましょうとのこと。

その後ケアマネさんが母を起こして(寝てはいなかった)話しをしてくれました。
とりあえずお昼を食べて、朝の薬を飲んで様子を見ることになりました。

そして、母は、すっかりいつものようになり、布団もかたす服も着替えて通常モードになりました。

その後、母の喘息、アレルギー、そして寝付きを良くする薬をもらいに近所のクリニックに散歩がてら行きました。

帰ってきても母はご機嫌でした。

父は・・・
その日の午後診察が入っていたので、兄が連れて行ったのですが、なかなか帰ってきませんでした。私達が母のクリニックに行って帰ってきてもまだ父は帰って来ませんでした。

しばらく母とテレビを見ていると・・・帰ってきました。
父はやはり足が踏ん張れず段差が登れなくなっていて、私達が介助をしてやっと家に入りました。(行くときは自分で歩いて門の車のところまで行きました。)そしてベットに倒れ込むように横になって息を整えるのに数十分。
その時に父は、
「もう病院は行かない。行きたくない。」
とわがままを言っていました。
父は苦しくなるから行きたくないということを何度か言っていました。
でも先生からは、
「苦しくても動かないと駄目。」
って言われていて、
「苦しいだけで他には何も問題ないんだから日頃から動く練習を・・・」
と言われています。

暫くして父は寝てしまいました。

それを見て私は帰りました。





※ここに書かれている内容はあくまで私の家族とそこに関わっている人たちの話です。
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2022年10月10日月曜日

新型コロナの現在・・・2022年9月12日

感染した当初は、厚労省や保健所からMy HER-SYSの登録とCOCOAのダウンロードを促すメールが毎日来ます。
なのでCOCOAはダウンロードしましたが・・・いまさらアプリをダウンロードして意味あるのか?
疑問に思いますが・・・
私はすでにかかってしまってしばらくは免疫が出来ていてかからないと予想されているのに・・・

今日たまたま私達が発熱外来で並んだクリニックに通りかかって・・・みたら、 外まで並んでいるのは7、8人でした。
大分減ったようです。
今は発熱外来に来なくても・・・ということができるようになったからなのでしょうか。
私の大学病院でも、注意が・・・
「コロナの濃厚接触者で待機期間中なのに診察等で病院には来ないで・・・。」
と書かれていて、そういう人がいたんだなぁと。それで発症した方がいたのがすけて見えました。





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2022年10月9日日曜日

旦那様と耳鼻科へ・・・2022年9月12日

大学病院から帰ってきて、午後に耳鼻科へ行きました。

私は10日前に耳鼻科に行ってだいぶ良くなっていたのですが、どうにも痰が絡んで・・・特に朝とご飯を食べた後が酷いので、また薬をもらうべく行きました。

旦那様も耳鳴りと聞こえが悪いのが治ってはいないので、一緒に行きました。

私は先生に秋の花粉症があるのと痰の話しをして終わったのですが、旦那様は、耳の水を吸い出す処置があってだいぶ時間がかかりました。
ただ、これをやるとかなり改善するらしいとのことでした。
これで長年の耳鳴りや、コロナ後遺症の聞こえが悪いという症状が改善すればいいのですが。

私は痰を切る薬とアレルギーの薬を処方してもらったのですが、旦那様は薬は無しでした。
処置をしてもらったのはいいのですが、炎症を抑える薬等はなかったので、少し不安です。



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両親が介護に[24]その1 母また暴れる 2022年6月14日

実家へ行きました。
新しくメンタルケアクリニックで処方された薬を飲めているのか?
それと飲んだ時の状態が気になりました。

実家に到着したら、家は暗かった。
すると、兄が2階から降りてきて・・・

兄「昨日暴れた。そして今日も朝から起きてこないし朝ごはんも食べない。」
と。
父は兄が食べさせて・・・
という話をしている時に母が起きてきて、
母「お父さんが苦しい苦しいって言っていて・・・もう5日ぐらいになる。どうしたらいいのかわからない。」
と言って泣いていた。
母「治療費が必要だけどお金が無い。10万円ぐらいは持っていないと。」
というので、
私「じゃあ郵便局におろしに行こうよ。」
と言ったら、
母「行かない。もうお父さん死んじゃったし。」
と不思議なことを言うので、
私「お父さんまだ生きているよ。息が聞こえてるじゃない。勝手に殺しちゃ駄目でしょ。」
と言ったら、
母「そうだったまだ生きている。」
と。
母は誰と勘違いしたのか?
あるいは頭では分かっているのに適切な言葉がでないのか?と思いました。

そして、
母「何処にも行かない。寝る。」
というので、
私「今は昼なので・・・」
と言ったけど、寝てしまいました。

そして、兄に何があったのかを聞きました。
そしたら、デイサービスの請求書が来て母がブラックモードに入ったそうです。
13日の夕飯の時に急にお皿と茶碗を投げて・・・兄が片付けをして、母は寝たそうです。
すると夜中に母が起きて2階のかつての自分の部屋の金庫を開けようとしていたそうです。その部屋は電気が壊れていて明かりがつかなくて真っ暗に近い状態なので、兄は、
「暗いから明日の明るい朝にしたら?」
と話したそうです。
すると、母は1階に降りていったそうです。

暫くして、母が奇声をあげて騒いでいたので、兄は父が心配になり、1階に降りて父を見に行ったら、父がトイレと言ったので、それをやってキッチンで手を洗っていたら、母が来たそうです。
すると母は、暴れて、兄にいろいろなものを投げつけてきて・・・兄を殴ってきたそうです。
高齢者なので、さほど痛くはなかったそうですが・・・

ちょうど兄は包丁の入ってる収納の所に立っていたので、
母「なんでそこにいるのか、早く自分の部屋に行きなさい。」
というので、
兄「お母さんこそそこにいると通れないから。」
と言ったら、母は自分の寝る場所に行って寝たそうです。




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2022年10月8日土曜日

両親が介護に [23]その2 先生の診察 2022年6月10日

そして、先生の診察・・・
その時も暗い感じで先生の聞いた事は答えていましたが・・・全部無しで片付けていました。
先生が、
「薬は飲めますか?」
と聞くと、
母「飲めます。」
とはっきり答えていました。
先生に、
母「色々検査して全然薬を出してくれないからもう病院には来ない。」
と言ったのですが、薬は処方してもらいたいらしく、
「薬はほしいです。」
と母が言うと、
先生は、
「薬は診察しないと処方できないので、次回も来て下さい。」
と念を押されてました。

診断は軽度の認知症、脳の物を覚える場所はそこまで萎縮してはいないものの、運動を司る場所の脳は少し萎縮しているとのことなので、少し暴れる傾向にあるらしいです。
あれで軽症なのかとちょっと疑問ですが・・・

とりあえず薬はまず小さい用量からなので、どんだけ効くのかは微妙ですが・・・

帰ってきて、父の看護師さんが父を診にきてくれていました。

母はその様子をみて少し気を持ち直したようで・・・

その後母のケアマネさんが母の薬をもらいに行ってくれて、持ってきてくれました。ありがたいと思いました。私が後で行こうかと思っていたので。
ケアマネさんを待っているときに、雨が降りそうな感じに暗くなってきたので・・・
母「お父さんの部屋の雨戸締めたほうがいいね。誰かに庭からお父さんの事見られたら嫌だ。」
と言うので、
私「誰も見る人なんて居ないよ。しかも寝ていたって別に問題ないよ。自分の家なんだし。」
と言いましたが、母は雨戸を締めました。

なんだか母の世間の目を気にするのが異常なほどで・・・
母の頭の中に寝たきりの人に対する差別があるのかもしれません。
母は人を差別的に見る傾向があります。
異常なほど近所の目を気にしているのもその一つかもしれません。

今日もなかなかのストレスで、私は心臓がバクバクでした。
夕方になって、雨も降ってきたので、私はその後帰りました。





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両親が介護に [23]その1 暴れる 2022年6月10日

今日は母の病院の先生の診察です。

私はいつもの通り実家に行きました。
母はかなりご機嫌がよく。これなら今日は楽勝で病院に行けると思ってバスと電車で行くことを母に話したら、母もそれで行くことを了承してくれました。
ところが・・・
いざ行く時間になって保険証と診察券をカバンに入っているのかの確認をしたら、入っていませんでした。
いつもなら入っているのに今日は入っていませんでした。

母は入れていそうな場所を探しているうちに頭に血が上ってしまい、
「もういや!!どうしたのか分からない!!」
と言い始め・・・

自分のバッグを投げて・・・
「いやだいやだなんでこうなるんだろう。もう行かない!!絶対に行かない。」と言いながらそこらにある色々なものを投げました。
私「お母さん投げないで、暴れないで、診察券なくても番号分かってるから大丈夫だから・・・病院に行きましょう。」
というと、
母「もう絶対に行かない。嫌だ家にいる。」
私「今日は先生の診察だから絶対に行かないと駄目です。絶対に行くよ。診察券なくても番号が分かっているから大丈夫。」
母「行かないもう行ってもしょうがない。家で寝ていたほうがいい。」
私「今日は駄目です。絶対に病院に行きます。」
母「しつこいなぁ。」
そう言ってまた暴れ出す。
私「暴れないで。ものを投げない。危ないから。」
そう言って私は母を羽交い締めにしていました。
母「分かった病院に行くから離して。」
というので私は母を離しました。

そして、もうバスと電車では予約の時間に間に合わないので、タクシーで行くことにして、タクシーを呼びました。

すると母は自分で玄関に行って・・・玄関を出た途端に植木に体ごと突っ込んで
「なんでこんなになったんだろう。もう嫌だ。」
と。
私は母の体を起こしながら、
「もうすぐタクシー来るから病院に行きましょう。服が植木で汚れちゃったよ。」
と言いながら葉っぱ等を払ってタクシーを待っていました。
すると母は、
「近所の人が見ている影に隠れてみているから。」
というので、
私は「誰もみていないよ。大丈夫。」

するとほどなくしてタクシーが来たので、乗って病院へ行きました。
その間全く言葉はありませんでした。
病院に着いても話しをせずでした。
ケアマネさんが到着しても全く話さずでした。


その2に続く・・・



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2022年10月6日木曜日

術後1年と6ヶ月・・・先生の診察と結果[2]2022年9月12日

そして、先生は、
「私は10月で移動になるので・・・。別の先生に代わりますが、大丈夫ですか?」
と言うので、
「あららまた代わるのですね。」
と言ってしまいました。
そして、新しい先生の名前を言われて・・・
〇〇先生、
「会った事ありますか?」
と聞くので、
「無いけど、知ってます。HPで見ました。」
と私は言いました。

先生は次回の血液検査の予約をした入れてくれて、終わりました。

今回の若い先生はもう終わりなんだ・・・と単純に思っていたのですが、家に帰っていろいろと調べると・・・


HPに私のかかっている大学病院での専門医取得のためのカリキュラムが書かれているのですが・・・
そこに半年ごとに部署を代わって・・・というような事が書いてありました。
なるほど私はその先生のカリキュラムの対象だったということなのだと思いました。
次回からの先生は、手術をしてくれた元主治医のすぐ下の先生(私の担当ではなかったけど)で、肝胆膵の専門医のようです。

この半年の先生は大学院を卒業したばかりの一般消化器外科の先生でした。
でも大学病院はチーム医療なので、おそらく今度新しく担当になる先生が関わっていた(教えていた)とは思いますが・・・

私は、この大学病院で2021年で2件しかない手術の患者なのです。
私の症例はそんなにないのにそれを、(病院の症例数が最近公開になって分かったことです。)大学院を卒業したての医者にまかせる・・・どうなのかなぁと不安に思ってはいましたけど。

これで次回からは少し安心して大学病院に行けます。


次回は12月です。
血液検査です。



本日の費用 2022年9月12日 
再診料
処方箋
合計金額  450円(3割負担) 



 ※ここに書かれている検査や投薬、費用その他諸々はあくまで私の場合です。それぞれの考え方や、治療の進め方などいろいろあると思います。それを否定するものではありません。 
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2022年10月5日水曜日

術後1年と6ヶ月・・・先生の診察と結果[1]2022年9月12日

今日は、CTと血液検査の結果を聞きに行きました。


前回あまり良い印象ではなかった新しい主治医ですが・・・

今回も挨拶はイマイチでしたが、前回とはだいぶ違う感じでした。


まず最初に血液検査の結果をいろいろと話してくれました。

前回は数値が全部正常範囲内に入っていたのですが・・・


今回は3月に血液検査したときとほぼ同じになっていて、それを先生は、

「少し基準値より出てますが、これは誤差の範囲内なので・・・。」

と言ってくれました。


そして、前回は私の方から言い出したのですが・・・

γーGTPの話しですが・・・

今回は先生が先にγーGTPの話しをしてくれました。


「今回はγーGTPが少し上がってますが・・・そこまで気にする数値ではないので・・・。」
というので、私は、

「3月の時と同じになったということですね。」
というと3月の時の数値も見てくれました。

そして私は、

「6月の数値が良すぎたということですよね。」

と話すと、先生は、

「そうですね。」

と。


そして、先生はCTを見ながら・・・

「まだ放射線科の先生の見解は出ていないのですが、私が見る限り再発や怪しい影等は無いとみます。」

と、言ってくれました。


私にも画像をゆっくりと見せてくれて、説明してくれました。

かなりきれいな画像でした。

その時にいろいろと話したのですが、やはり私の場合、後遺症というべきお腹の痛みは無くなりそうもありません。

元主治医が話していた話しをまたこの先生でも聞いてみたのですが、元主治医と同じ答えでした。なんだかこの若い先生のテストをしているようでした。






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