2022年10月21日金曜日

両親が介護に[27] 父が永眠。2022年6月23日

この日は、朝兄から電話が・・・
「母がデイに行かないって言ってる。そして、父がご飯を食べていなくて、看護師さんを呼ぶから。というといらないって言っていて・・・」
という電話でした。

私はこの日整形外科のリハビリの日だったので、それが終わったらまた電話するから・・・と一度電話を切りました。
母は木曜日はデイサービスに行く日でしたが、この日は行かなかったようです。
母は最近はデイサービスに通っていて楽しくしていたので、今回行かなかったのが、また以前のようなことになるのか少し心配でした。

整形外科が終わってまた電話すると、やはり父はご飯を食べていなくて、少し心配な感じだったので、私も実家に行くことにしました。

実家に着いたのは、お昼の12時ぐらいだったと思います。

父は水も飲まず、寝ていました。
兄が一生懸命に何か飲ませようとしていたのですが・・・

私が父に来たことを告げて、様子を兄に聞いて、数日前から食べなくて・・・心配している事を聞きました。

私が父に話しかけると反応はあって、看護師さんを・・・という話をしていたのですが・・・
母は
「父が数日前から苦しそうで、こんなんじゃ心配でデイサービスもいけない。今日はだから行かなかった。」
と。

母も少し心配そうで、父のベットの側で足をさすったりしていました。
気温も上がってきていて、熱中症の症状が出ていて、熱が微熱だけどあったので、扇風機とうちわで父の体を冷やそうとしていました。

そして、なんとか水分をとって欲しくてあれやこれやで飲ませようとしていました。
すると父は栄養ドリンクを飲みたいと意思表示してくれたので、兄が一口飲ませるともっと飲みたがったのでまた一口・・・飲ませました。

私と母は水分を少しでもとってくれたので少し安心していたのですが・・・
兄が少しベットのそばから離れて私と母で見ていたのですが・・・少し大人しくなって、寝てしまったように見えたのですが・・・
兄が戻って来た時に
「唇の色が紫になってきた。息してないのかも。」
というので、私は、兄に、
「救急車を呼んで119に電話して!!」
と叫んでいました。

そして、私と母で
「お父さん息して!!お父さん目を開けて!!」
「お父さん!」
と何度も叫んでいました。

そして、消防に電話が繋がり、兄が詳しく状況を伝えて・・・
私達は父の心臓マッサージをしました。

電話の向こうの隊員の人が、
「このまま電話を切らないで心臓マッサージをしてください。消防が先に到着しますからそれまで心臓マッサージを止めないで下さい。」
と電話の向こうで指示を出してくれました。
私達は必死でした。
途中で父が反応していたようにも見えたので、もしかしたら・・・と思って必死でした。

暫くして消防車が到着して、AEDを父に装着して何度か蘇生措置をやってくれました。その後救急車が来たのですが、救急車はかなり遅かった気がします。
その時に父の延命治療の話しをされたのですが・・・

「父は過度な延命は望んではいなかったようです。」
でも、
「蘇生措置はお願いします。」
と話しました。

そのまま父を救急車に乗せて病院へ・・・
兄が一緒に行きました。

私と母はそれを見送って・・・

暫く呆然としていました。

そして、私と母はどこか落ち着いていました。
そして、お昼のパンを食べて・・・私は涙が止まりませんでした。
とりあえず旦那様に連絡をしました。

そして、しばらくすると兄から電話が・・・
父が亡くなった・・・と。
私達もすぐに病院に行きました。
そして、兄と合流して・・・兄はかなり動揺していました。

その後先生に父の話を聞いて・・・

死因は・・・
「間質性肺炎」でした。

最後に私達が飲ませたものが詰まったとかそういうことではなかったようでした。もう心臓がもたなかったようです。

その後父と対面しました。
父は安らかな顔をしていました。
そうとう苦しかったと思いますが、よく頑張ったと思います。
父はもう生きる事を止めた・・・のだと思いました。
父は今年に入ってから、自分のことで一杯一杯だった。それは3月のピアノを買い取りしてもらったときに話していました。

そして、今後の話を病院の担当の方と話して・・・葬儀の話しをしました。
私達はかなり動揺していて、どうしていいのかわからなくて、病院に相談できる方がいて、その方の言うとおりにして・・・
その日のうちに父を葬儀社に預けないとならなくて(いつまでも亡くなった人を置いておけないそうです。)、その場でいろいろと決めて父を葬儀社に搬送してもらいました。
私達はタクシーで葬儀社に行きました。

そして、葬儀社に運ばれた父はとても冷たかったです。
葬儀の詳しいことは24日にすることにして帰りました。

つい数時間前まで話せていたのにもういなくなってしまった・・・
なんだか不思議な感じでした。

でも、最後は自宅でしかも家族皆いたので良かったと思いました。

私は、4月に入院して、帰ってきてからの父の様子を見て多分この夏は越せない可能性があるって覚悟していました。

父が急変してからあっという間の出来事で、母、兄と私はかなり呆然としていろいろと流された一日でした。

そして、実家に戻って・・・
一番に連絡したのが、父の従兄弟(父と一緒に育っています。)の一人。
まぁ突然電話がかかってきたので何事?って思うのは当然です。
父の事を話してまだ詳細は決まっていないと話して電話を切りました。

その後私は自分の家に帰りました。





※ここに書かれている内容はあくまで私の家族とそこに関わっている人たちの話です。
それぞれのケースやいろいろな考えがあると思います。それを否定するものではありません。
このブログを読んで少しでも参考になれば・・・と思って書いています。
介護はとても大変です。早めに市役所などに相談をおすすめします(特に今の高齢者は人に相談しようとはなかなか思わない世代だと私は思っています。)

0 件のコメント:

コメントを投稿