2023年7月18日火曜日

両親が介護に[133] 母退院 2023年1月26日

母の退院の時間はだいたい10時・・・と看護師さんに話していたので、その時間を目安に最寄りの駅についたのですが、病院はそこから少し離れた場所にあります。なので、バスの時刻表を確認したのですが、いい時間のバスはなかったので、歩いて行きました。某アプリでは歩いて16分となっていたのですが、結局20分かかりました。
病院に兄も到着(兄は自転車で来ました自転車のほうが早いです)。
その後看護師さんの指示に従い・・・

車椅子に乗った母を久しぶりに見たのはその数十分後でした。
母は全く私達のことが理解できなかったようです。
その後タクシーに乗って・・・家の前にタクシーが止まって母が降りられるのか少し不安でしたが、なんとか降りました。
そして、家の庭から玄関に行く数十メートルを歩き段差もよろけながら私に捕まりながらなんとか家に入りました。
家の段差もなんとか登って・・・今まで自分が座っていた定位置にすぐ座って・・・やっと家に帰ってきました。

因みに看護師さんからの電話は何度かありましたが、先生からの電話は最初の電話だけで、退院の時も病状の説明等は何もありませんでした。

兄はもうすっかり完治・・・という勝手な思い込みがありました。

私は父の事もあるので、母が完治して帰ってきたのではなく、コロナが無くなり、肺炎も落ち着いた(完治ではない)ので退院になったのだと思っていました。
母が帰ってきて、お昼ご飯を食べたあたりから、母の様子が少しおかしくなって・・・

痰が切れなくて苦しそうでした。
それを見た兄は、
「コロナの時と何もかわっていない。痰が絡んで飲み物が喉につまってその後何も食べない飲めない・・・になった。これじゃぁまた同じことが起きる。」
とご立腹。
「なんだよ!治ったんじゃないのかよ!」
と凄い剣幕でした。
「こんなんじゃもう無理。」
とまた以前のような兄でした。

私は兄のその様子を見て、兄も母と同じで思った事をすぐ言うし、嫌な事を簡単に口にする。少しは配慮や気遣いはないのか?と思いました。
私もそんな兄にムッとしました。そういう所が兄は人間として欠けているのかなぁと思いました。

包括のケアマネさんが来て、いろいろと話をしてくれたのですが、結局は介護のケアマネさんに連絡してそちらに任せるという感じで、帰って行きました。

夕方介護のケアマネさんが来たのですが・・・
私は介護のケアマネさんに母がコロナにかかった話をしていたのですが、入院して、今日が退院・・・という話をしていませんでした。
包括のケアマネさんが少しは話を介護のケアマネさんにしてくれていたのかいないのか・・・わからないのですが、私は病院側に包括のケアマネさんの事しか話しをしていませんでした。

介護のケアマネさんは退院の前に病院からのミーティングが無かったのを少し危惧していました。
私は経緯を話して、母の今の様子をケアマネさんに話をしました。
介護のケアマネさんは元看護師なので、母の様子を見て少し違和感を感じたようで、病院にすぐに連絡して、大丈夫なのかの話を入院していた時の看護師さんに聞いてました。
その電話の最中、母は、ずっーと痰が絡んでいて、苦しそうでした。
母は、
「苦しいから救急車呼んでください。」
を連呼していました。
でもケアマネさんは母の肺の音と呼吸音を聞いて・・・
大丈夫と言う判断をしていました。
ケアマネさんは母に、
「大丈夫だから少し様子を見ます。だから帰りますね。」
と言い聞かせてました。

ケアマネさんのパルスオキシメーターを借りて定期的に測ることになりました。
そして、今後の話はまた後日・・・ということになり、ケアマネさんは帰りました。

私は、母の事は少し心配で、兄の事も気になってはいたのですが、私も帰りました。







※このブログは、リアルタイムに書いたものに、後日思い出しながら修正を加えています。なので、数ヶ月前の話になっています。文章が読みにくいとは思いますが、ありのままを書いているので、ご了承ください。 

 そして、ここに書かれている内容はあくまで私の家族とそこに関わっている人たちの話です。 それぞれのケースやいろいろな考えがあると思います。それを否定するものではありません。 このブログを読んで少しでも参考になれば・・・と思って書いています。 介護はとても大変です。早めに市役所などに相談をおすすめします。(特に高齢者は大丈夫だと思っていて人に相談しようとは思わない世代だと思っています。)

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